きづな

大津歴史の道を歩く -滋賀里から三井寺まで-

 4月21日の土曜日、友の会は、「大津歴史の道を歩く」と銘打って滋賀県の大津京周辺のハイキングをしました。このころ、天候が不順で雨が心配でしたが、幸い、この日は晴天とまではゆかなかったものの、まずまずの天気でした。  この日は、事務所の所員も含めて50名が参加しました。朝10時にJR湖西線唐崎駅に集合し、志賀山寺岩屋不動尊を皮切りに、最後は、三井寺そして琵琶湖疏水をみて午後4時頃、JR大津駅で解散しました。 「大津歴史の道を歩く」と銘打ったのは、これまでと同じく今回も地元のボランティアガイドの人にお願いして、大津のいろいろな遺跡などについて説明してもらいながら、ハイキングをするという企画だったからです。 当日は、参加者10人が一組になり一人のボランティアガイドと行動する、というもので、これも従前と同じです。  大津は、京都の裏側にあり、そのため観光客の多くは大津を素通りして京都に行ってしまいます。京都のお蔭で大分割を食っているのですが、歴史的には京都よりも古く、重要な遺跡が残っています。歴史的には、大化の改新を行ったあと、天智天皇は、667年に突然都を大津に移しました。大津京と言われる所以です。671年に天智天皇が亡くなると、その長男大友皇子と皇太弟大海人皇子(舒明天皇の第3子、天智天皇は第2子)とが天皇の位を巡って争いました。いわゆる壬申の乱です。これに勝利した大海人皇子は、672年、都を大津から大和飛鳥に移し、そこで即位し天武天皇となりました。こんなことから、大津京はわずか5年間でしたが、それでもいろいろな遺跡は残っていました。  最初に行った岩屋不動尊とその近辺の百穴古墳群、などは、ガイドの人の説明を受けて初めて知ったのでした。そのあと弘文天皇陵に行きました。これは、明治になって壬申の乱に敗れた大友皇子を、弘文天皇としてここに墓を作って祀ったとのことです。実際の天皇ではなかったのです。続いて近江神宮に行きました。これは、天智天皇を祀ってあるとのことでした。これは、1940年(昭和15年)に紀元2600年を記念して建てられたとのことです。この年は、まさに太平洋戦争の前年あり、軍国主義が日本中を覆っていたその中でこのようなものが建てられたことは、その時代を象徴するという意味で歴史的遺産になるのかもしれません。  皇子山公園で昼食のあと、法明院というお寺に行きました。ここにはフェノロサの墓がありました。フェノロサは、明治初期に日本にやって来て、日本の美術を広く海外に紹介し、また岡倉天心らとともに、東京美術学校(現在の東京芸大)の設立にも関わりなど、日本美術の復興に大きく貢献しました。フェノロサは、1885年(明治18年)この法明院にやって来て、当時の住職敬徳和尚に深く帰依して得度受戒しました。その後、1908年(明治41年)にロンドンで亡くなったのですが、その遺言でこの法明院に葬られているとのことです。  最後に三井寺(園城寺)に行きました。「三井の晩鐘」として近江八景の一つに数えられています。 大友皇子の子の創建と伝えられていますが、比叡山延暦寺の智証大師が唐の旅から帰ってきて859年に再興し、延暦寺の別院となりました。しかしその後、延暦寺と対立し、たびたび叡山の僧兵の焼き討ちにあったりしました。  私たちが行ったこのころには、桜はすでに散っていましたが、桜の時期になると広い境内は全山桜に覆われ、それは実に見事なものです。  こうして「友の会」の大津の歴史を訪ねるハイキングは終わり、午後4時頃にJR大津駅で解散しました。みんないささか疲れ気味でした。本当は、3時に解散という予定だったのですが、全体で12キロの行程で、予定の時間に終了するのは無理だったようです。それでも、参加した人たちの多くから大変良かった、という感想を寄せていただきました。 tomonokai-120531

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