今年は戦後80年です。私の亡き祖父母は、青春時代がアジア・太平洋戦争だった世代で、徴兵されたり、田舎でも食糧に困ったりした話を少し伝え聞きましたが、祖父母本人から体験談を詳しく聞けませんでした。原爆や集団自決や大空襲、特攻隊や捕虜など惨劇に遭ったわけではなくても、重苦しい記憶に口をつぐむ雰囲気がありました。そして、祖父母は、自衛隊の海外派遣や防衛費の増大などのニュースを見た時など、ふと厳しい顔をして「戦争はアカン」とよく言っていました。
私自身は、父母や学校教育や学生仲間の影響を受けて、戦争映画を見たり、ヒロシマ・ナガサキの資料館や語り部さんの話を聞いたり、沖縄の戦跡めぐりなど、いろいろ戦争の惨禍を知ろうとしてきました。そして、日本国憲法の恒久平和の精神を学んだ時には感動し、平和憲法を生かす弁護士になりたいと思いました。
しかし、近年は日常生活に忙しくしていると、戦争について考える暇が極端に減りました。子育てしていると、子どもが悲惨な目に遭う戦争映画が辛すぎて、反射的に目を背けてしまいます。ウクライナやガザの戦火のニュースも、心が拒否して遠くに感じてしまいます。そうしているうちに、自分より下の世代が戦争を浅く感じているのではないかと思う場面に出くわすと、きちんと伝えるべきと思っても、うまく言葉にならないようになりました。祖父母世代の「戦争はアカン」という実感が、たった80年で伝わりにくくなっていることに、自戒を込めて悔しく思います。
私は、今、青年法律家協会大阪支部の事務局長をしています。青年法律家協会(青法協)とは、1954年に、日本国憲法を擁護し平和と民主主義および基本的人権を守ることを目的に、当時の若い法律研究者や弁護士、裁判官らが設立した団体で、現在の会員数は全国で約2500名の幅広く大きな法律家の任意団体です。その設立趣意書を改めて読んで、「『平和』 それは、つねに人類の渇望してやまないものであります。もっとも貴重な青春の数年間をあの太平洋戦争の渦中ですごしこの戦争で多くのすぐれた先輩、友人をうしなったわたくしたちは特に平和にたいして強い関心を持っております。」から始まる文章に、私の祖父母の思いが重なることに気付きました。世代を経ても戦争の惨禍を忘れないことが、日本国憲法の戦争放棄や基本的人権への理解に繋がることを、私も一人の法律家として多くの人達に広めていきたいと、改めて思いました。