相続放棄とは、相続人が自分の相続権を放棄する、つまり、自分は債権も債務も一切相続しない、と家庭裁判所に対して意思表示する手続です。自分について相続が開始したことを知った時から原則3ヶ月以内に、家庭裁判所に申立をする必要があります。相続放棄も意思表示である以上、有効になるには「意思能力」が必要です。なお、ここでいう「意思能力」とは、相続放棄という行為の法的な意味=相続する権利はあるがマイナスの財産もプラズの財産も一切受け取らないことになることを理解する能力と理解されたら良いかと思います。
では、相続放棄の「意思表示」をした人が「認知症」だった場合、どうなるでしょうか。
相続人の1人が相続放棄をしていることを理由に遺産分割調停手続から排除された事案で、当該放棄時点で既に認知症であり、相続放棄の意味を理解する能力に欠けていたとして、相続放棄を無効とする判決があります(東京高裁平成27年2月9日決定;判タ1426号)。
本件で相続放棄をした方は、相続が開始した平成26年に相続放棄の手続を取っているのですが、その後医師の診察を受けた結果、認知症で自分の年や家族の名前が言えない、一人で外出できないなど日常生活に支障を来す程度に進行しており、知能指数では8歳程度と診断され、同年に成年後見人が選任されています。成年後見人の選任に際して、別の医師が「年相応」である旨の意見書を提出しましたが、裁判所の詳細な鑑定の結果、成年後見相当の判断能力とされました。
改めて、成年後見人がご本人の相続放棄の無効を主張したところ、裁判所は、
①相続放棄の意味を理解する能力がなかったこと
②放棄の理由を「生活が安定しているから」と記載しているが自己の経済状態を理解していたとは認
められないこと
③放棄する合理的理由が見いだしがたい
などといったことから、放棄は真意に基づかないと判断しました。
相続放棄もその意味を理解して行うことが必要なのであり、認知症等で意味が理解できないままに行った場合には無効になるという、ある意味当然の判断です。相続人の中に認知症の人がいた場合に、他の相続人が認知症の人に意味がわからないままに放棄をさせたとしても、それは無効になるということです。
一般に「認知症」は、疾病名としての認知症と年相応の判断能力の低下した状態を区別することなく利用されていますが、ここで問題になるのは、その意思表示をした時に相続放棄の「意思能力」があったと言えるかどうかになります。
本件の場合、相続放棄の意思表示をしてから、そう経過していない時点で診断を受けることが出来たこと、裁判での鑑定時点で相当程度の判断能力の低下が認められたことが幸いしたといえるでしょう。実際には後から、その意思表示をしたときに「意思能力」があったかどうかを判断するのは、なかなか難しいものです。加齢ないし認知症という疾病による判断能力の低下の場合、成年後見手続を取るなどして、ご本人の権利保護を図っておく方が安全でしょう。