きづがわ瓦版

ことのはぐさ

2007.05.14 弁護士 小林保夫(京都・大江山中国人強制連行・強制労働事件弁護団) | 外国人の戦争被害賠償請求に幕引きを図ろうとした最高裁判決を弾劾する ー中国人強制連行強制労働事件・「従軍慰安婦」事件 4月27日最高裁判決の意味ー


 1 外国人戦争被害者の損害賠償請求事件の現状 

 戦後、中国人「従軍慰安婦」強制に対する損害賠償請求事件、朝鮮人・中国人強制連行・強制労働に対する損害賠償請求事件など外国人戦争被害者がわが国やわが国加害企業に対して提起した戦争被害損害賠償請求事件は100件前後にのぼる。
 稀に下級審裁判所において認容されあるいは加害企業との間で和解による解決を見たケースがあったものの、ほとんどの下級審裁判所は請求を認容することがなかった
し、いずれにしても最高裁において排斥されてきた。 
 最近においては、中国人強制連行・強制労働事件、中国人「従軍慰安婦」事件など10件前後が上告審たる最高裁に係属するに至り、なお同種事件が全国各地の地方・高等裁判所に係属している現状である。 
 このたび最高裁第2小法廷が損害賠償請求を排斥した直接の事案は、中国人強制連行・強制労働事件のうち広島高裁が加害企業に対する請求を認容していた上告 事件と中国人「従軍慰安婦」事件の2件であったが、さらに最高裁各関係小法廷は、これら2件のほか係属していた同種上告事件3件についても同じ理由で上告 を受理しないこととして敗訴させ、各事件は確定を見るに至った。

 2 最高裁判決の判断内容

 中華人民共和国(1949年建国)は、サンフランシスコ平和条約(1951年中華民国(台湾政府)参加)の当事国ではなかった。 
  1972年に発表を見た日中共同声明第5項は、「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と述べているが、個人の戦争被害賠償請求権の放棄を表明していなかった。
 したがって、ただちに中国人のわが国に対する個人の損害賠償請求権を放棄したとすることが出来ないことは明らかである。それ故政府や加害企業は、従来、全 国各地の裁判所に中国人戦争被害者から提起された同種の訴訟においてかかる主張(抗弁)を提出していなかった。
 ところが政府は、一連の裁判の途中から、サンフランシスコ平和条約が条約締結国の個人の請求権をも放棄したとし、同平和条約の当事国になっていなかった中 華人民共和国と日本の間の日中共同声名もサンフランシスコ平和条約の枠組みのなかでの取り決めであるから、そこでは個人の請求権も放棄したものと解すべきであるとする見解を主張するようになった。この見解はアメリカでわが国を相手方として提起された損害賠償請求に対抗する必要から案出されたものと言われる (ちなみに外国で提起される訴訟においては、日本国内における「国家無答責」、除斥期間、消滅時効などの法的主張をもっては対抗できない)。
 このたびの最高裁判決は、政府のかかる見解を全面的に採用したものである。 しかし最高裁は、政府やこれに追随する加害企業を全面的に免責することには自責の念を覚えたことは明らかで、後述のように、異例にも判決文中で被害実態についての詳細な認定を行うとともに、損害賠償請求権の帰趨についても「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められないというべきである。」と述べ、さらに「・・・諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者等の被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである。」と言及せざるを得なかった。

 3 最高裁判決の意味・役割 

 私は、このたびの最高裁判決は、以下のような各点できわめて重大な意味を有すると考える。
  ① 最高裁は、外国人戦争被害者の損害賠償請求について、各外国人の所属国が
    日本に対する個人請求権をも放棄したとする政府見解を全面的に受け入れたこと
    によって、政府見解を是認し擁護する役割をになうこととなった。 
  ② 外国人戦争被害者の損害賠償請求に対して裁判による救済の道を閉ざした。
  ③ 外国人戦争被害者の損害賠償請求権に対するわが国・加害企業の債務を履行
    の義務を負わない自然債務とすることでわが国・加害企業の法的責任を免責し
    た。 
  ④ しかし最高裁は、前述のように、異例にも判決文中において被害実態の認定を行
    うとともに、国や加害企業における「被害者等の被害の救済に向けた努力を期待
    する」旨の言及を行った。これは、最高裁がみずからの司法としての被害の救済
    の責任を回避したものの、戦争被害者の告発・損害賠償請求の正当性を無視する
    ことができなかったことから、わが国の政府・加害企業に対して、被害実態の悲惨
    さに留意を促して政治的・道義的見地から救済措置を講ずる努力を行うべきことを
    求める意図に出たものであることは明らかである。

 4 最高裁判決における戦争被害の実態についての言及の意味

 外国人戦争被害者の損害賠償請求事件のほとんどの裁判において、裁判所は、請求を認容する場合は当然であるが、請求を排斥する場合においても、事実関係の認定を避けることができなかった。
 例えば、請求権放棄を理由とし、あるいは「国家無答責」という法律論を持ち出して請求を排斥する場合、裁判所は、事実関係の認定に立ち入ることなく判決を言い渡すことが できる。ましてこのような理由で請求を排斥する場合は、裁判の論理においては、仮定的に不法行為における除斥期間の経過、安全配慮義務に基づく損害賠償請求権についての消滅時効の成否などに立ち入った議論を展開する必要はないのである。
 ところが裁判所は、その厳密さや具体性の点で差はあるにしても、請求を排斥する場合においても被害の実態についての認定を避けることができなかった。 最高裁も例外ではなかった。
 とりわけ今回の最高裁判決のように、請求権放棄を理由として請求を棄却する場合には、被害実態についての認定を行うどのような必要も存在しないのである。 ところがこのたびの最高裁判決も、最高裁としてはきわめて異例にも被害実態についての詳細な認定を行ったのである。 
 最高裁も戦争被害者の告発・損害賠償請求の正当性を無視することができなかったことは明らかである。しかし前述のようにわが国政府や加害企業の法的責任は 免責しながら、なおわが国の政府・加害企業に対して政治的・道義的見地から救済措置を講ずべきことを求める意図ないしポーズを示すことによって法的救済の方途を閉ざしたみずからの責任の回避を図ったとも見られる。

 5 最高裁判決のきわめて政治的な性質とかかる判決をすることとなった背景

 訴訟事件には事実関係になにがしかの曖昧さがあったり、法律解釈や評価が分かれる余地がある場合が多い。このような場合、裁判の仕組み・事実認定の困難さ・法律解釈の多義性にかんがみ、裁判所は、法律上の制限の範囲内にある限り、一定の結論を決めれば、その結論を導くための理由付けないし論理はどのようにでも組み立てることができる。おそらくほとんどの法律家にとってこのような理解には異論がないであろう。われわれ法律家にとって、日常卑近な例において 枚挙にいとまがない。
 強制連行・強制労働事件においても、同一事件についての一審たる地方裁判所とその控訴審たる高等裁判所の判断が認容と排斥というまったく逆の結論をもたらし、あるいは事実関係の態様・性格においては基本的な相違がないにもかかわらずある裁判所では請求を認容し、他の裁判所では排斥するという逆の結論をもたらしているのはまさにその端的な証左である。
 中国残留孤児の損害賠償請求事件においても、大阪や東京その他のいくつかの各地方裁判所は請求を排斥し、ひとり神戸地方裁判所は請求を認容するというまったく逆の結論が示された。
 強制連行・強制労働事件、「従軍慰安婦」事件に関するこのたびの最高裁判決もこの例外ではなかった。認容・排斥いずれの結論もあり得たのである。そして多くの専門家の見解に照らして、少なくとも中国人戦争被害者関係の事件については、法律論として個人請求権が放棄されたという見解を採用しないことも十分にできたことは明らかであ
る。
 それでは、最高裁の各小法廷は、何故このような見解を採用したのか。
 事実に法律解釈を当てはめて結論を正当化する作業は一見論理的でありうるであろう(しかし、しばしばそこにも主観的なあるいは恣意的な選択はありうるし、 そもそも「事実」さえも結論に添うように組立てることがありうる)。しかし裁判の結論は論理的必然の問題ではない。それは、優れて主体的なあるいは主観的 な、さらには恣意的でさえもありうる選択の問題である。
  最高裁は、その結論において国ないし政府を勝訴させるという高度に政治的な意味を有する選択をしたのである。この場合、個々の裁判官やそれぞれの小法廷が 主観的にも明確な政治的意図を有していたとまでは言えないかもしれない。しかし、客観的にはかかる政治的意図を共有したのである。
 それでは、このような政治的意味を有する選択を行った最高各裁裁判官の意識ないし思想・信条はどのようなものであるか。
 まずこれらの裁判官は、政府によって選択され任命されたものであることから、政府と基本的な価値観を共有する立場にあるか、少なくとも政府の期待を理解し ていることは明らかであろう。したがってわが国ないし政府の利害に関わる事案について判断を行うにあたって、多かれ少なかれこのような基本的な立場ないし 理解が影響を有することを否定することは出来ない。とりわけわが国や政府の高度な利害に関わる場合には、むしろまさにこのような基本的な立場ないし理解の 出番なのである。
 そして本件は、わが国の内外において、中国人に限らず外国人がわが国政府ないしわが国の加害企業に対して、かつての第2次世界大戦においてわが国やわが国 加害企業によって被った戦争被害についての法的救済の方途を認めるか否かというわが国の重大な国際的な利害に関わる事件なのである。
 これらの最高裁裁判官は、同裁判官等が受けた学校的・社会的教育にかんがみ、さきの大戦においてわが国が世界各国及びその民衆、とりわけ中国・朝鮮その他 の多くのアジア諸国及びその民衆にもたらした惨禍について、このたびの結論を選択することに抵抗を覚える程度までの意識ないし思想・信条を有さなかったこ とは推測に難くない
し、まして戦争犯罪や戦争責任をめぐる洞察やその世界史的動向についての理解や認識を欠いていたことも明らかに推測できる。

 6 おわりに 

 このたびの最高裁判決は、わが国最高裁の意識ないし思想・信条の(水準の)所産である。
 しかし、このような最高裁の判断は、わが国の狭隘かつ短期的な利害には添うものであっても、巨視的かつ歴史的な判断に耐えうるものでないであろう。
 ちなみにアメリカにおける従軍慰安婦事件についてのわが国に対する批判・謝罪要求は、アジア諸国・民衆のみならず世界的に共感と支持を広げており、法的救済の能否、請求権放棄論などの脆弱な防波堤によっては防御することができないであろう。
 また、さしあたりわが国におけるたたかいに限っても、最高裁判決にもかかわらず、下級審裁判所は最高裁判決に反する判断を行うことが出来るし、その積み重ねはふたたび最高裁判決の変更を迫るものともなりうるであろう。
 さらに最高裁判決は、外国人戦争被害者のわが国に対する法的救済の方途を閉ざすこととしたものの、判決の明文をもってわが国政府や加害企業に被害救済の努 力を期待するとの異例の言及を行った。かかる言及は、その意図においては、被害の重大さにかんがみなんらかの方便を余儀なくされたに過ぎなかったとしても、戦争被害者にとって
は、わが国や加害企業に謝罪や損害の補償を迫る一つの重大な手がかりになるであろう。


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